検索結果: Masablog

このブログを検索

大文字小文字を区別する 正規表現

Masablogで“村上 春樹”が含まれるブログ記事

2012年6月27日

 読書日記「快楽としての読書 [日本篇]」(丸谷才一著、ちくま文庫)


快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)
丸谷 才一
筑摩書房
売り上げランキング: 42702


 著者が、週刊朝日や毎日新聞などに1960年代から2000年代初めにかけて書いた全書評のうち、約3分の1の122篇を選びだした本。

 この「読書ブログ」も、気ままに選んだ本の内容をほとんど引き写してきただけで、もう5年近くになる。たまにはプロの書評集を読んでみるのもいいかと、図書館に購入依頼したが、これがすこぶるおもしろかった。

 「気になっていた本」「読んでみたくなる本」「おもしろそうだが、とても手におえそうにない本」などなど・・・。一流の教養人が書くうんちくに酔いしれる"快楽"に、はからずものめり込んでしまった。

 私も以前にこのブログで書いたことがある 辻邦生 「背教者ユリアヌス」(中公文庫)。
 書評者は「作者が何に促されて書いたかといふことはやはり解説しておかなければならない」と、かねてからの疑問に「待ってました」とばかりに答えてくれる。

 
もちろんこれはあくまでも推測だが、第一にこの作家は日本文学には珍しく形而上学的な魂の陶酔に憑かれてゐて、それにふさはしい人物をこの主人公に見出だしたといふ事情がある。ユリアヌスが「背教者」であることもまた、日本人である自分と重ね合せるのに好都合だつたにちがひない。
 そしてもう一つ、戦争中に青春を生きた作者としては、当時の、もしできることなら何とかして軍事にたづさはることなく、学問と詩を楽しんでゐたいといふ切実な欲求が人生の最初の体験となつてゐて、それがこの大作を最も深いところで支へてゐるやうに思はれる。つまりここには歴史的世界への呪祖(じゆそ)があるのだ。


 好きな作家の1人である、 池波正太郎の 「散歩のときに何か食べたくなって」(新潮文庫)では「最も印象的なのは、(店の)主人の描写」とある。

 
(東京・室町のてんぷら屋「はやし」の主人の)本姓は斎藤だが、ただし岐阜の斎藤で、あの油売りから美濃の国主となつた斎藤道三の流れ。
 そこで主人は言ふ。
 「はい、やはり、油には縁が深いのでしょうな」
 小説家の藝だから、人物描写がうまいのは当り前だが、最高級の天ぶら屋の老主人の姿が、眼前に浮びあがるではないか。


散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社
売り上げランキング: 73817

 これまでの江戸文学研究書について「(おおむね志が低く、琑末な事象にこだわる)通人か、(江戸の美意識と真っ向から対立する十九世紀西欧の美意識にあやつられている)学者にゆだねられており、指南役としてふさわしくない」と、こてんぱんにやっつけている。 そして 「江戸文學掌記」(講談社文芸文庫)の著者、 石川淳に言及していく。

 
この小説家ならば、当代の文学を古代以来の日本文学の伝統のなかにとらへることも、中国との関連において眺めることも、そしてまた十九世紀の偏向にしばられずに西欧文学全般からの照明の下に見ることも可能なのだ。構へが大きく感覚がすぐれてゐることは、言ひ添へるまでもない。


江戸文学掌記 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
石川 淳
講談社
売り上げランキング: 649370


高島俊男著「中国の大盗賊」(講談社現代新書)の最後には、あの毛沢東が登場してくる。

 
言はれてみれば、たしかに中華人民共和国は新種の盗賊王朝かもしれない。マルクシズムを宗教に見立てていいのはもはや常識だし、毛は一時、生き神様だつたし、それに長征といふのはたしかに流賊だつた。


中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)
高島 俊男
講談社
売り上げランキング: 37875


中村隆英の「昭和史1(1926-45)」(東洋新報社)には、二・二六事件後に中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句が詠まれたことを指摘。そして中村自身が「明治以来の安定が、このとき完全に失われたことへの憤りと解釈している」ことを紹介している。

 書評者は「経済学者にして置くには惜しい(失礼!)小太刀の冴え」と、粋な一言を放っている。

昭和史〈1(1926‐45)〉
昭和史〈1(1926‐45)〉
posted with amazlet at 12.06.27
中村 隆英
東経
売り上げランキング: 316612


中村元の「インド人の思惟方法」 「日本人の思惟方法」「チベット・韓国人の思惟方法」(すべて春秋社)では「浩瀚(こうかん)な著作をわずかな紙数で推薦するのだから、遠慮しないで読んでくれ、ぜったい損はしないからと請合ふしかない」と書く。
 そのついでに、読む順番は「シナ人の巻から取りかかって、日本人、インド人、チベット人および韓国人とゆくのがいいやうな気がする」と、誠に親切な読書指導まで。

 中村元の、こんな記述も紹介している。
 
たとえば、南アジアの国々の仏教僧は、酒は決して飲まないが、煙草は平気で吸う。釈尊のころ煙草がなかったから当たり前だが、「煙草を吸ふなかれ」といふ戒律がないのをいいことに、プカブカやるのださうである。
 ところが韓国の僧は煙草をいつさい口にしない。戒律に禁止されてゐなくても、その底にある精神を大事にするのが韓国仏教なのである。
 これは韓国仏教についての上手な説明だが、中村のこの本は、いつもかういふ調子で読者をおもしろがらせてくれる。










 これらだけではない。各篇ごとに原作のなかからすくいあげた文章が、玉のように輝いて見える。

 インドのタミル語が日本語成立の源流だが、最近は「朝鮮の学者によって、朝鮮語とタミル語との対応が言われ出した」( 大野晋著 「日本語の起源 新版」=岩波新書)

日本語の起源 新版 (岩波新書)
大野 晋
岩波書店
売り上げランキング: 63653


岡本かの子の 「生々流転」(講談社文芸文庫)は、夫・ 岡本一平がかの子の死後に書き足した合作長編である。

生々流転 (講談社文芸文庫)
岡本 かの子
講談社
売り上げランキング: 245371


 「関ヶ原合戦での東軍の勝利は、豊臣系諸将の家康への贈り物だった。これによって、(徳川幕府は)国持大名の領内政治に介入しないという、分権・多元的な政治形態を近世日本にもたらした」( 笠谷和比古著「関ヶ原合戦」=講談社学術文庫)

関ヶ原合戦  家康の戦略と幕藩体制 (講談社学術文庫)
笠谷 和比古
講談社
売り上げランキング: 42281


 「セーラー服が女学校の制服として定着したのは、海軍⇒女児⇒軍艦⇒女陰という隠語が意識下にある」( 鹿島茂著「セーラー服とエッフェル塔」=文春文庫)

セーラー服とエッフェル塔 (文春文庫)
鹿島 茂
文藝春秋
売り上げランキング: 269289


 「再読 日本近代文学」(集英社)のなかで、中村真一郎小林秀雄が培った近代日本文学論の常識に反旗を翻していること紹介しながら、書評者自らも「多少の異論」を試みているのも、考えたらまったくぜいたくな1篇だ・・・。

再読 日本近代文学
再読 日本近代文学
posted with amazlet at 12.06.27
中村 真一郎
集英社
売り上げランキング: 652424


この本の最初に、著者の小エッセイが載っている。

いまわたしたちが読むやうな形の本、つまり
 1  本文が白い洋紙で、
 2  その両面に、
 3  主として活字で組んだ組版を黒いインクで印刷し、
 4  各ページにノンブルを打ち、
 5  それを重ねて綴ぢ、
 6  表紙をつけてある
 ものは、ずいぶん便利だなと感心する。


 
この形勢は当分つづきさうである。将来、年老いた村上春樹の新作長篇小説も、中年の俵万智の新作歌集も、まづ本として売出されるだらう。レーザー・ディスクやテープ、あるいはもつと新しい何かで出るとしても本が主体だらう。
 二十一世紀になつても、小学校用算数教科書、経済白書、六法全書、『広辞苑』第十何版、最後の社会主義国某国の全史の翻訳、卑弥呼のもらつた金印の発見をめぐる学術報告、貴乃花の回想録、マリリン・モンローとケネディの往復書簡集の翻訳などが、本といふ容器をぬきにして出ることは考へにくいのである。
 わたしたちは本の制覇の時代に生きてゐる。


 1993年に朝日新聞から刊行された「春も秋も本! 週間図書館40年」(1993年刊)という「週間朝日」の読書欄誕生40周年記念した本に所収されているのだが、現在の電子書籍をまったく意識していない牧歌的にも思える書籍礼讃がおもしろい。

春も秋も本! (週刊図書館40年)

朝日新聞
売り上げランキング: 194509


 ところが、この文庫本の表題裏に、出版社の注意書きが小さい活字で掲載されており、業者による "自炊" 行為などに警告している。


  本書をコピー、スキャニング等の方法により
 無許諾で複製することは、法令に規定された
 場合を除いて禁止されています。
 請負業者等
 の第三者によるデジタル化は一切認められて
 いませんので、ご注意ください。


 書籍、それも文庫本に、このような"警告文"が載るのは、これまであったのだろうか。書評のなかで出版各社の書籍を引用しているという事情もあるのだろうが、それだけ出版社側のデジタル化への警戒感が現れていて、丸谷のエッセイとの対比がおもしろい。

 このブログでも、著書のいくつかを引用させてもらっており、この警告に"抵触"しているのだろう。
 「この著書のすばらしさを記録したいだけの個人プレー。大目に見てください『株式会社 筑摩書房様』」とわびるしかない。

  

2010年8月31日

読書日記「1Q84 BOOK1<4月―6月>」「同 BOOK2<7月―9月>」「同 BOOK3<10月―12月

1Q84 BOOK 1
1Q84 BOOK 1
posted with amazlet at 10.08.31
村上 春樹
新潮社
売り上げランキング: 266
おすすめ度の平均: 3.5
2 ハードカバーで読むほどではない
2 おもしろうて、やがてかなしき・・・
1 リタイアしてしまいました・・・
3 何度も読むべき作品なのか?
5 村上作品は、不思議だ。
1Q84 BOOK 2
1Q84 BOOK 2
posted with amazlet at 10.08.31
村上 春樹
新潮社
売り上げランキング: 264
1Q84 BOOK 3
1Q84 BOOK 3
posted with amazlet at 10.08.31
村上 春樹
新潮社 (2010-04-16)
売り上げランキング: 156


 話題のベストセラーだから、なかなか借りる順番が来ないだろうと買ってしまったのがよくなかった。 図書館で借りた他の本の返却期限に追われて、結局、これらの本は1年から半年近くサイドテーブルでほこりをかぶっていた。

  この夏、友人Mの好意で海辺の温泉で1週間を過ごす幸運に恵まれ、宅急便で送っておいた3冊を一気に読んだ。
 あらすじ?ウーン・・・。「村上春樹 ワールド」は、入り込むと自縄自縛に陥ったまま異次元で遊泳している感覚になり、頭がからっぽになってしまう。

 思いつくままに、読後メモみたいなものを書くしかない。

 この膨大な小説には、2人の主人公がいる。

  1人は「青豆」というスポーツクラブのインストラクターをしている女性。強靭な肉体を持ち、殺人と分からないように人を殺せる特技を持つ。
  その「青豆」が、殺人の仕事をしに行く途中、首都高速道路で渋滞に巻き込まれ、タクシーの運転手に教えられて非常階段を使い高速道路を降りる。

 降りた後「青豆」は、これまでとは違った世界にいることを少しずつ知っていく。
 「警察官の制服がこれまでと違っており、オートマチックの連発拳銃を身につけている」
 「月で米ソが協力して、恒久的な観測基地の建設が進んでいる」
 「本栖湖の周辺で銃撃戦があり、警官3人が死亡した」
  「空には、月が2つ浮かんでいる。1つは黄色(マザ・母)、少し小さいもう1つは緑色(ドウタ ・娘)・・・」

 1Q84年――・・・Qはquestion markのQだ。
    好もうが好むまいが、私は今この「1Q84年に身を置いている。私の知っている1984年はもうどこにも存在しない。今は1Q84年だ。・・・私はその疑問符つきの世界のあり方に、できるだけ迅速に適応しなくてはならない。・・・自分の身を守り、生き延びていくためには、その場所のルールを一刻も早く理解し、それに合わさなければならない。


  もう一人の主役は、予備校の数学講師で小説を書いている「天吾」。「天吾」は、知り合いの編集者からなぞの美少女「ふかえり」が書いた小説「空気さなぎ」を書き直してほしいと頼まれ、それがベストセラーになってしまう。

 「空気さなぎ」に・・・描かれているのは「リトル・ピープル(小さな人)」が出没する世界だ。主人公の十歳の少女は孤立したコミュニティーを生きている。「リトル・ピープル」は夜中に密かにやってきて空気さなぎをつくる。空気さなぎの中には少女の分身が入っていて、そこにマザとドウタの関係が生まれる。その世界には月が二個浮かんでいる・・・。


 この小説に書かれたことが、1Q84の世界で現実に起こっていく。
 「いろんなものごとがまわりで既にシンクロを始めている。・・・そう簡単には元に戻れないかもしれない」


「空気さなぎ」も不可解な物体だが「リトル・ピープル」も「善であるのか悪であるのか」は最後まで分からない。

  そして「青豆」は、会ってもいないのに(たぶん、空気さなぎを通して)「天吾」の子供を妊娠する。   実は「天吾」と「青豆」は、小学校の同級生でずっと「互いを引き寄せ合っていた」仲だった。

  2人は最後の最後になって再会する。そして「1Q84」の世界から出るために、手を取り合って非常階段を登り、首都高速道路三号線に出る。
 夜明けになっても、月の数は増えていなかった。ひとつきり、あの見慣れれたいつもの月だ。


 どこまでも不思議かつ不可解な「春樹ワールド」は終わる。

  世界的なベストセラーになったこの小説について、最近ノルウエー・オスロで行った講演で1つの謎解きをしている。
  「9・11がなければ、米国の大統領は違う人になり、イラクも占領しない、今とは違う世界になっていただろう。誰もが持つ、そうした感覚を書きたかった」

 昨年6月16日付け読売新聞でも取材に答えている。
  「オウム裁判の傍聴に10年以上通い、死刑囚になった元信者の心境を想像し続けた、それが作品の出発点になった」

 小説の各所にオウム真理教エホバの証人ヤマギシ会などを連想させる描写が続き、それがまた読む人の興味をつのらせる。

  中国でも、この本がベストセラーのトップを占めているが、最近の朝日新聞に「首都高速の非常階段が見たい、という中国人旅行者が増えるかもしれない」と書かれていた。異常といえる「春樹」ブームである。

  著者は、兵庫県芦屋市の出身。「ひょっとしてノーベル賞!」という声も大きくなって、私がボランティアをしている芦屋市立図書館打出分室でも、著者についての話題がつきない。
 処女作「風の歌を聴け」にでてくる「お猿のいた公園」は図書館に隣接しているし、この分室自身「海辺のカフカ」にでてくる図書館のモデルとも言われている。「ノーベル賞を取れたら、ここを"村上春樹記念図書館"と改名しようか」と、勝手な井戸端会議は盛り上がる。
風の歌を聴け (講談社文庫)
村上 春樹
講談社
売り上げランキング: 114620
おすすめ度の平均: 4.0
5 カリフォルニア・ガールな本
1 物語が見えてこない
1 盛り上がりがなく退屈な小説
3 啓発的で軽快な青春小説
4 結果から言うと
海辺のカフカ〈上〉
海辺のカフカ〈上〉
posted with amazlet at 10.08.31
村上 春樹
新潮社
売り上げランキング: 57444
おすすめ度の平均: 4.0
4 ファンタジー...
5 潜在意識という名の迷宮へ
3 よくわからない時代とよくわからない人間のためのわかりやすい作品
5 不完全さの美学。
4 難しいし...


  私も通った芦屋市立精道中学では「先生によく殴られた」と話しているという著者は、ふるさとの声をどう聞くだろうか・・・。

2009年5月22日

読書日記「日本語が亡びるとき」(水村美苗著、筑摩書房著)

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
水村 美苗
筑摩書房
売り上げランキング: 925
おすすめ度の平均: 4.0
1 個人的には不毛な内容
1 レベルの低い"日本語擁護"アジテーション
5 辺境の地、極東の文化の強さを理解していないかも
4 偏屈者は、村上春樹を思う
5 ともに読み、ともに語りましょう


 私も愛読している梅田望夫ブログで「すべての日本人が読むべき本」と激賞されて話題になった本。ほとんどの新聞各紙も書評で取り上げていた。

 買ったものの、すんなり読める文章ではなく、長い間、居間のワゴンに積読されたままになっていた。そこへ今回の新型インフルエンザ騒ぎで、芦屋の図書館は臨時休館、神戸の中国語教室も休みになり・・・。ひまを持て余して再び手がのびた。

 浅学菲才の身、著者のことは知らなかったが、長く米国で過ごしプリンストン大学などで日本近代文学を教える一方で、夏目漱石の絶筆を書き継ぐ旧仮名遣いの小説「續明暗」で芸術選奨文部大臣新人賞を受けた人という。

 そういう経歴から生まれた本であることが分かると、表題から内容もなんとなく想像できそうだが、なかなか・・・。とびっきり過激な警告・告発書である。

 最初はちょっと分かりにくかったが、著者は書き言葉を、ひとつの国・地域で使われる「現地語」、それが翻訳という作業を通じて国民国家の言葉となった「国語」、そして二重言語者が使う「普遍語」の3つに分けている。「普遍語」は、聖書のラテン語、ギリシャ哲学の古典ギリシャ語、論語などの漢語といった聖典の言葉として普及したという。

 そして「現地語」である日本語が「国語」になり、それを使った日本近代文学が誕生する経緯にふれている。

 福沢諭吉、西周・・・数えきれない二重言語者による翻訳を通じて、日本の言葉は、世界と同時性をもって、世界と同じことを考えられる言葉・・・すなわち<国語>へと変身していった。
 <国語>へと変身していったことによって、日本近代文学―――とりわけ、小説を書ける言葉へと転身していったのである。
 <国民国家>が成立するときには、まるで魔法のように、その歴史的な過程を一身に象徴する国民作家が現れる。
 日本では、漱石がそうである。


 そして、百科事典「ブリタニカ」の「日本文学」という項目を引用している。
 
 その質と量において、日本文学は世界のもっとも主要な文学の一つである。その発展のしかたこそ大いに違ったが、歴史の長さ、豊かさ、量の多さにおいて、英文学に匹敵する。現存する作品は、七世紀から現在に至る文学の伝統によって成り立ち、この間、文学作品が書かれなかった「暗黒の時代」は一度もない。・・・

 執筆者は、ドナルド・キーンである。

 筆者は、こう述べる。
 
 たしかなのは―――、たとえ世界の人には知られていなかったとしても、世界の文学をたくさん読んできた私たち日本人が、日本文学には、世界の傑作に劣らぬ傑作がいくつもあることを知っているということである。
 そのような日本近代文学が存在しえたこと自体、奇跡だといえる。


 しかし現在、言葉の世界で有史以来の異変が2つ起こっており、日本語、日本近代文学も危機にさらされている、という。

 一つは、世界中で使われている言語が。すごい勢いで消滅しようとしていることである。
 ユネスコの言語調査によると、世界で話されている約6700の言語の半分が、今世紀末までに消滅するという。

 
 二つ目の異変は、今まで存在しなかった、すべての言葉のさらに上にある、世界全域で流通する言葉が生まれたということである。
 それが今<普遍語>となりつつある英語にほかならない。
 近年、伝達手段の発達によって地球はいよいよ小さくなり、それにつれて英語という今回の<普遍語>は、その小さくなった地球全体を覆う大規模なものになりつつあった。そこへ、ほかならぬ、インターネットという技術が最後の仕上げをするように追いうちをかけたのである。


 「英語の世紀に入った」と、筆者は断言する。
 
 日本の学者たちが、今、英語でそのまま書くようになりつつある。自然科学はいうまでもなく、人文科学も、意味ある研究をしている研究者ほど、少しずつそうなりつつある。
 日本の大学院、それも優秀な学生を集める大学院ほど、英語で学問しようという風に動いている。特殊な分野をのぞいては、日本語は<学問の言葉>にはあらざるものに転じつつあるのである。


 そして、もし漱石が今生まれたとして、大人になった4半世紀後、日本語で文学は書かないだろうと仮想する。
 
 優れた文学が近代文学で生まれるのを可能にした歴史的条件―――それが、今、目に見えて崩れつつある。学問にたずさわる二重言語者が、<普遍語>で書き、<読まれるべき言語>の連鎖に入る可能性がでてしまったからである。


 そして筆者は、日本語教育をたて直し、英語教育は「国民の一部がバイリンガルになるのを目指す」内容に限定すべきだと提案する。

 しかし、これは、今の日本社会を覆う風潮から見ると、あまりに非現実的かもしれない。

 やがて「日本語は亡びる」しかない・・・。読み終わって、そんな確信と失望感にうちひしがれる。

2009年2月24日

読書日記「火を熾す」(ジャック・ロンドン著、柴田元幸訳、スイッチ・パブリッシング刊)


火を熾す (柴田元幸翻訳叢書) (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)
ジャック・ロンドン
スイッチ・パブリッシング
売り上げランキング: 9666
おすすめ度の平均: 5.0
5 バイタリティー溢れる強靭な主人公の魅力でぐいぐい読ませる重厚な作品集です。
5 なぜ、いまジャック・ロンドンなのか。
 
 作者、ジャック・ロンドンは、なんと19世紀のアメリカの作家。
 貧困家庭に生まれ、多くの職業を体験し、世界を放浪しながら20冊の長編小説、200本に及ぶ短編小説を残している。

 翻訳の名手、柴田元幸が、そのなかから9本を選んで新訳したのが、この本である。

 訳者は「あとがき」でこう書いている。
 「ロンドンの文章は剛球投手の投げる球のような勢いがあり、誠実で、率直で、ほかの作家ではなかなか得られないノー・ナンセンスな力強さに貫かれている」

 「翻訳にあたっても、いつも以上に透明性めざし、この作家の身上である勢いを削がないように努めたつもりである」


 9篇ともすごい剛球小説だが、昔からの〝焚き火大好き人間〟なだけに,最初に引きずり込まれたのは表題になっている「火を熾す」の焚火シーンだった。

 男が1匹の犬だけを連れて極寒のアラスカの原野を歩いている。零下50度(摂氏零下約45,6度)から零下75度(同59・4度=訳注から)まで冷え込んでくる。

 途中で弁当を食べようとするが、手袋を脱いだ手はたちまち麻痺し、氷の口輪に邪魔をされてパンを一口も齧れない。
 「火を熾しにかかった。下生えの、よく乾いた枝が前の春に増水で流されてたまっているところから薪を集めた。小さな炎からはじめて、慎重に作業を進め、やがて勢いよく燃える火が出来上がった」
 寒さを克服した男は、無事食べ終え、パイプで一服する余裕さえあった。

 再度、歩き始めて不運に見舞われる。固い氷の下の湧き水に足を突っ込み、濡らしてしまう。
 今度も「火はちゃんと燃え、パチパチと音を立て、炎を大きく躍らせるごとに生命を約束している」
 しかし、エゾマツの下で火を熾したのが間違いだった。頭上の大枝には、かなりの重さの雪が積もっていた。
 その雪が
「なだれのように大きくなって、いきなり何の前触れもなく男と火の上に落ちてきて、火は消えてしまった!さっきまで燃えていたところには、真新しい乱れた雪の外套があるばかりだった」


 別の場所で再度、火を熾そうとするが、足が凍り、両手が麻痺してくる。手袋をはめた両手で挟んだ硫黄マッチの束に火をつけたが、雪の上に落してしまう。小枝にへばりついた腐った木のかけらや緑色の苔を歯で食いちぎり、火を育てようとするが「苔の大きなかけらが小さな炎の上にもろに落ちた。・・・火は消えた。

 歩きだしたが倒れてしまう。
「威厳をもって死を迎えるという観念を頭に抱いた。・・・俺は馬鹿な真似をやった、首を切り落とされた鶏みたいに駆け回って。・・・最初のかすかな眠気が訪れた」


 この短編を、村上春樹が短編集「神の子どもたちはみな踊る」(新潮文庫)のなかの「アイロンのある風景」で取り上げていることを、新聞の書評とネットサーフインで知った。さっそくアマゾンに450円(アマゾンポイント10円引き、送料無料)で注文、翌日届いた。

 主人公の順子は、高校1年の時に宿題の読者感想文で、この短編を読み「この旅人はほんとうは死を求めている」と、この物語の核心に気がつく。

 「あやしい探検隊焚火発見伝」「あやしい探検隊焚火酔虎伝」といった焚き火シリーズを書いている椎名誠などが作っている国際焚火学会という遊び心いっぱいの集団がある。

その国際焚火学会編の「焚火の時間」(コスモヒルズ刊)、「焚火パーティへようこそ」(講談社+α文庫)でも、ジャック・ロンドンのこの短編が取り上げられている。
「厳寒のアラスカやシベリアを舞台にした,J・ロンドンやH・A・バイコフの小説には、たくさんの焚火が登場する。これらの小説では、過酷で原始性の強い自然環境を描いているので『たき火は命と同じ』という価値を持って表現されている」

「文明に毒されたあまたの放漫さからときとして謙虚さを取り戻すべく、人間は森、露地、海、川、山、庭、あらゆる場所で焚火をするということである」


 焚火に凝りに凝っていた若い頃がなつかしい。山行の帰りの河川敷、借り農園、千葉・稲毛の人工海岸、西宮・香櫓園浜、ニュージランド南島の海岸・・・。ジャック・ロンドンの描く世界とはほど遠い小さな、小さな冒険?だったが。

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社
売り上げランキング: 13444
おすすめ度の平均: 4.5
4 柔らかい世界観
4 信頼できる「震災との距離感」
5 阪神淡路大地震の闇と心の闇が通じ合う孤独を抱えた人々の魂の再生の物語
5 死とむかいあう
5 "やみくろ"と戦うかえるくん

あやしい探検隊焚火発見伝 (小学館文庫)
椎名 誠 林 政明
小学館
売り上げランキング: 223854
おすすめ度の平均: 3.5
4 空腹時は読んではいけない。
3 日本は美味なものが多いね

あやしい探検隊 焚火酔虎伝 (角川文庫)
椎名 誠
角川書店
売り上げランキング: 152746
おすすめ度の平均: 4.0
5 焚火の魅力
3 気分だけでも

焚火の時間
焚火の時間
posted with amazlet at 09.02.24

コスモヒルズ
売り上げランキング: 735678